第二境の谷橋(だいにさかいのたにばし)

(初回記事公開:2004年8月23日 記事全面書換:2021年7月24日)
阿蘇外輪山の真南に位置する清水峠と山都町(旧清和村/旧々朝日村)郷野原を結ぶ県道319号仏原高森線にのの字を描く場所がある。架けられている橋は「第二境の谷橋」と言い、1979(昭和54)年3月完成であることが橋名板に示されている。のの字のすぐ下にも沢に小さな橋が架かっていて、こちらは橋名板がなく、これが「第一境の谷橋」と思い込んでいた。

当記事の初回公開時に書いたことはこれぐらい。

周囲に何もないし絶景があるわけでもない。高度成長期の勢いで道路が開鑿され橋が架けられたんだろうと高をくくっていた。

国土地理院の空中写真や地形図を眺めていたところ、現在の第二境の谷橋完成以前から架橋されていたらしきことに気付いた。
おお、現在の橋は2代目か!(3代目かも?)
これは詳しく調べねば。

文献調査を初めてすぐに、第二境の谷橋の下にある橋は「開拓橋」という1952(昭和27)年に架けられた橋で、下を流れる川は大矢川であることが判明。

ちょっと待て。

先代・第二境の谷橋は開拓橋と同時期に架けられたであろうことは容易に想像できるが、ならば「第一境の谷橋」の行方や如何に?

ともかく、清和村史と地形図を中心に、関係しそうな文献・資料から得られた情報を以下にまとめてみる。

1951(昭和26)年01月08日 熊本日日新聞(2面)
「朝日、高森開拓道路工事進む」の記事
1952(昭和27)年 開拓橋完成
1954(昭和29)年応急修正 1960(昭和35)年04月発行 1:50000地形図
第二境の谷橋はもとより、県道の元になった道路自体が描かれていない
1956(昭和31)年11月05日 米軍撮影 空中写真
道路の痕跡あり
1964(昭和39)年10月03日 国土地理院撮影 空中写真
架設済み、現在の県道と同じ線形に見える
1965(昭和40)年測量 1967(昭和42)年04月発行 1:25000地形図
県道の元になった道路はのの字を描き、第二境の谷橋の位置に橋が描かれている
1973(昭和48)年03月31日 仏原高森線県道認定
1979(昭和54)年03月 現・第二境の谷橋完成
2021(令和03)年02月 現・開拓橋補修工事

熊本日日新聞の記事には長谷峠を越える道路であると記されているが、道路延長や施工延長を検証すると清水峠を越える現・県道の経路を指している可能性が高い。
ということで、先代の第二境の谷橋は開拓橋と同じ1952(昭和27)年に架けられたと見て間違いなさそうだ。また、わずか27年で架け替えられたということは木橋だったかも知れない。

さて、「第一境の谷橋」はどこにあるのか。
答えは、国有林名称にあった。
清水峠そばの国有林が「第一境の谷」(この記事下方に付けた地図の橙色のエリア)、この橋の近くにある国有林は「第二境の谷」(下方地図の赤色のエリア)という名称なのだ。つまり、「第二境の谷国有林の近くに架けた橋なので第二境の谷橋」であって、第一境の谷橋は(第一境の谷国有林及びその近隣に橋梁がないので)存在しない。
大矢川のいずれかの支川か源流の名称が「境の谷」(または、第一境の谷・第二境の谷)の可能性はあるが、それを示す文献は見つけられなかった。

文献調査で得た情報を鵜呑みにするわけにはいかないので、あらためて現地を訪問してみた。
念の為、山都町立図書館の本館(※)と清和分館(旧清和村図書館)を訪問し、該当しそうな資料はないことを確認してから現地郷野原の長老を訪ねてみた。

※ 山都町立図書館本館は旧矢部町の中心部にあり、通潤橋をはじめとする石橋の故郷とも言える地であるからか、石橋関連蔵書がすごい。3日ぐらい滞在してじっくり読み込みたい。

運良く昭和26年に入植した方に出会えたが、「第二境の谷橋」の先代名称及び橋種(木橋かRC橋か)は記憶にないとのこと。初回訪問時に詳しく聞き取り調査していれば証言が得られたかも知れないが、悔やんでも後の祭りだ。

ともあれ、架け替えられてはいるが、現存するループ橋では国内で3番目に古いことは覚えておきたい。

路線県道319号仏原高森線
所在地熊本県上益城郡清和村郷野原
回転度270度
完成時期1952(昭和27)年 1979(昭和54)年03月架替え
実走行日2004-08-23
全景写真
(初訪:2004年8月23日) 第二境の谷橋の橋上からループの内側を眺める。
第二境の谷橋の橋上からループの外側・開拓橋を眺める。
第二境の谷橋交差部。この橋台形状から考えるに、次回架替えではカルバート化される運命か?
橋名板。律儀に「仏原高森線を跨いでいる」ことを示している。

(再訪:2021年4月2日) 第二境の谷橋交差部付近全景拡大する
第二境の谷橋交差部付近全景。夏は木々の茂りが半端ないので、じっくり眺めるなら廃道巡りと同じく2月~3月がベストシーズンか。
補修されたばかりの開拓橋。初回訪問時は「第一境の谷橋」と思い込んでいた。
補修が行われることは入札情報で知っていたので、完工後に現地訪問できるよう日程調整したが、まさか工事説明看板を撮れるとは思っていなかった。

第二境の谷橋建設時期推定の資料集

地形図で比較
Before
After

左:1954(昭和29)年応急修正/1960(昭和35)年04月発行 1:50000地形図
  第二境の谷橋はもとより、県道の元になった道路自体が描かれていない
右:1965(昭和40)年測量/1967(昭和42)年04月発行 1:25000地形図
  県道の元になった道路はのの字を描き、第二境の谷橋の位置に橋が描かれている

空中写真で比較

1956(昭和31)年11月 | 1964(昭和39)年10月 | 1976(昭和51)年10月

1956(昭和31)年11月05日 米軍撮影 道路の痕跡はあるが、橋梁の有無は判別できない
1964(昭和39)年10月03日 国土地理院撮影 橋梁架設を確認できるが、橋種は判別できない
1976(昭和51)年10月22日 国土地理院撮影 木々は疎らながら、現代と全く同じ道路線形を確認できる
旧清和村(旧々朝日村)の国有林等位置図


橙:第一境の谷国有林 赤:第二境の谷国有林 青:大野(川口)国有林 緑:清和公有林野等官行造林地