1961(昭和36)年、日本で初めての大規模ニュータウン建設が大阪・千里丘陵で始まった。その起工式が行われた場所・千里南公園の近く・津雲台と名付けられた地にロータリー交差点が2件存在している。津雲台2丁目にある交差点は5枝、津雲台4丁目にある交差点は4枝である。
千里ニュータウンには大小様々な集合住宅や戸建て住宅団地があるが、ロータリー交差点が設けられた街区はごく一部。街区ごとに設計担当が違ったのだろうか。街開きから50年以上経過した今となっては、どのようなコンセプトの違いがあったのか調べることは容易ではない。
ただ、千里ニュータウンは全体に広々とした土地利用になっており、街路も歩車分離が徹底されている。ロータリー交差点も十分すぎるほどに大径である。訪問する前は高速走行している車がいるんじゃないかと心配していたが、それは杞憂だった。そもそも、人がいない。全国共通の悩み、ニュータウンの高齢化が落とす影か。
2件とも中央島の中央にはモニュメントのような彫刻作品が設置されている。1967(昭和42)年に開催された「千里野外彫刻展」出品作品30点のうちスポンサーのついた作品が、彫刻展終了後に千里ニュータウン内の公園やロータリーに設置されたそうだ。残念ながら大事にされているとは言い難い状況だが。
カテゴリー | ロータリー |
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路線 | 市道 |
所在地 | 大阪府吹田市津雲台 |
実走行日 | 2018-01-07 |
全景写真 | |
千里津雲台2丁目ロータリー拡大する千里津雲台2丁目ロータリーを南側から眺める。一時停止で規制されておらず、警戒標識「ロータリーあり(201の2)」も設置されていない。優先関係がわかりにくいが、事故は起きていないのだろうか。 拡大する 千里津雲台2丁目ロータリーを南西側から眺める。中央島の左にピーコックストア(旧・大丸ピーコック:関東で言えば成城石井やザ・ガーデン 自由が丘か)が写っている。千里ニュータウンの大丸ピーコックと言えば1973年オイルショックの「トイレットペーパー騒動」の根源として有名だが、この店舗ではない。 北側から眺める。左に見えるように環道にバス停があるのが残念な交差点だ。 北東側から眺める。全ての接続路が一時停止を要しない。 中央島に置かれた「希望」と名付けられたモニュメント。二科会評議員の彫刻家・高須賀桂氏の作品とのこと。作品には「1968」の数字が刻まれているが、彫刻展の開催年とは矛盾がある。高須賀氏の作品連番だろうか。 千里津雲台4丁目ロータリー拡大する千里津雲台4丁目ロータリーを南側から眺める。こちらも警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は設置されていない。 西側から眺める。この交差点も、全ての接続路で一時停止の規制は行われていない。 拡大する 北側から眺める千里津雲台4丁目ロータリー。この接続路は南行一方通行で、導流帯(ゼブラゾーン)もそのように誘導している。 東側から眺める。千里津雲台2丁目ロータリーとともにラウンドアバウト運用が十分に可能と思うのだが、意図的に指定されなかったとしか考えられない。なぜだ? こちらのロータリー交差点中央島にもモニュメントが設置されている。作品名が記されていたであろう銘板は消失していたが、帰宅後の調査で、郡山市出身の彫刻家・三坂耿一郎氏の作品「おしゃべり」であることが判明している。 |