湯浅海岸通りロータリー

和歌山市の南、紀州藩の命による醤油醸造で栄えた町、湯浅。紀伊國屋文左衛門の出身地でもある。 1960年代、人口増加に伴う宅地不足解決のため海を埋め立てて住宅地が造成され、その住宅地中央にロータリー交差点が設けられた。何を

磐梯山周辺別荘地円形交差点群

1970年前後の高度経済成長期、雨後の筍のように日本全国に別荘地が造成された。非日常をアピールするためか、別荘地の中心にシンボルとして円形交差点が設置されることがあった。ここ磐梯山の周辺でも多数の別荘地開発が行われており
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白馬みそら野ロータリー

白馬八方の南東麓に拓かれた別荘地内にあるロータリー交差点。正確には「みそら野」と「エコーランド」の境界付近にあり、「みそら野」の入場門的な存在と言えよう。 別荘地の歴史は古く、開発から管理まで一貫して行っている白馬綜合開

笹部団地ロータリー

陸上自衛隊松本駐屯地の北西にある住宅団地中央部にロータリー交差点がある。昭和40年に長野県企業局により造成され、その設計当初からロータリー交差点設置が計画された模様。 国内のロータリー交差点設置例がまだ少ない時代だったか

東京電力JR港南台線鉄塔ロータリー群

JR根岸線港南台駅の南側、栄区と港南区の境界(これが相模国と武蔵国の国境とのこと)付近の住宅地に送電鉄塔が立つロータリーが2件ある。 栄区元大橋、当時は戸塚区中野町大橋谷戸と呼ばれていた場所は、横浜市栄区の中でもかなり初

アザリエ団地(東京電力本牧線7号鉄塔)ロータリー

戸塚駅の北西1kmの丘陵にある住宅団地の中心部を東京電力の送電線が2本(本牧線と香川線)通っており、その1つの鉄塔を囲むように円形交差点が設けられている。 住宅団地の名は「アザリエ団地」、デベロッパーは北信土地(現存しな

セキュレアシティ藤沢 翼の丘

道路開通情報さんのツイートに誘われるように、街開きイベントに行って確認してきた。 元々は県立藤沢高校が置かれていた土地だが、県立大清水高校と再編統合して県立藤沢清流高校となり、大清水高校の敷地校舎がそのまま利用されること

三菱白根第二団地ロータリー

三菱重工業が1960年代に開発した相模鉄道鶴ヶ峰駅北側住宅地内にあるロータリー交差点。 日本が世界一の造船大国になったのは1956(昭和31)年であり、その業績好調の勢いに乗り、また、急増する幹部社員の住宅確保として住宅

南希望が丘 中ノ原公園前ロータリー

相模鉄道が希望ヶ丘駅周辺の発展を期して、同駅南側の丘陵地帯を神奈川県へ無償提供し、1951(昭和26)年に県立希望ヶ丘高校を、1954(昭和29)年に国立神奈川総合職業補導所(その後「労働福祉事業団 神奈川総合職業訓練所

三ツ境富士見台ロータリー

相模鉄道三ツ境駅の南側にある住宅地の中央に、分離帯付き道路が交わる6枝(見方によっては8枝)の交差点があり、中央島が設けられている。 1954(昭和29)年頃、それまで林野だった土地を切り拓き住宅地として造成された。デベ

五味団地(東京電力京浜線1・2号線 1046号鉄塔)ロータリー

横浜市青葉区、JR横浜線・東急田園都市線長津田駅北側の丘陵に100戸ほどの宅地造成が始まったのは1966(昭和41)年。デベロッパーは五味商事(現存せず)で、後述する位置指定道路の指定は1968(昭和43)年3月であるこ