八戸市庁前ロータリー


八戸市役所前の県道に中央分離帯状の交通島があり、地元ではロータリーと呼ばれているので現地を訪問してみた。

「八戸市庁前」とは違和感がある表現だ。「庁」は中央政府または都道府県の行政機関(無体物)を指し、市なら「役所」、町村なら「役場」と理解している。八戸市では市役所の建物のことを市庁と呼んでいるようで、さらに違和感が増す。建物なら庁舎であろう。
等と令和の時代に、しかも部外者があれこれ言っても始まらない。1960(昭和35)年11月に行われた八戸市役所新庁舎落成式で市長が庁舎の名称を八戸市庁にすると宣言したことによるものらしい。(参考資料:青森県史の窓120 八戸市庁~発展と克服の象徴~

市役所前にそのような交通島があるのはなぜか。歴史を整理してみる。

1873(明治06)年09月 八戸小学校(当時は第七学区第一七中学区一番小学)開校
1881(明治14)年08月 現在の八戸市庁前に八戸小学校の洋風校舎や講堂を新築
明治天皇の東北巡幸が行われ、同月に八戸小学校講堂を行在所として利用
1929(昭和04)年04月 八戸小学校(当時は八戸尋常小学校)新築移転
講堂は明治天皇の聖跡保存を兼ねて八戸図書館として利用、昭和7年暮れに堀端町へ移設
1933(昭和08)年11月 講堂跡地は「明治天皇御聖跡」として史跡に指定、その整備において聖跡を避けるように道路が計画された
1935(昭和10)年04月 ロータリー完成
1960(昭和35)年11月 講堂建物は市立図書館の新築に伴って八幡宮境内に移築復元、その後現在に至るまで明治記念館として利用

平たく言えば、明治天皇が休まれた地を他の何かに転用する暴挙を封じたということか。

ロータリー交差点としてはどうか。中央島に相当する交通島を転回することは可能だが、進入車優先で統一されているわけではなく南北の通りが優先道路であり、それが冒頭に「中央分離帯状の交通島」と表現した所以である。加えて中央島へ渡る横断歩道があり、残念ながらここをロータリー交差点と言うには無理があり過ぎる。

とは言いつつも八戸市を象徴する地であることは明らかで、八戸市の保存樹木40本のうち5本(ヒマラヤスギ3本、コウヤマキ、ズミ)がここに集中している。

路線青森県道23号本八戸停車場線/市道
所在地青森県八戸市内丸1丁目
完成時期1935(昭和10)年4月
実走行日2021-09-29
全景写真
八戸市庁前ロータリーを北側から眺める拡大する
八戸市庁前ロータリーを北側から眺める。立派なヒマラヤスギは八戸市の保存樹木で、毎年12月に開かれる八戸冬灯りでは1本がライトアップされるそうだ。
八戸市庁前ロータリーの北東側接続路からの眺め。右折禁止はトラップに近いぞ。正面の建物が「八戸市庁」だ。
八戸市庁前ロータリーを南側から眺める拡大する
八戸市庁前ロータリーを南側から眺める。こちらも中央島相当の交通島を転回可能。「ロータリー」と呼ばれていながら、接続路のいずれにも警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は設置されていない。
南西側接続路からの眺め。こちらも右折禁止。
八戸市庁前ロータリーを西側から眺める拡大する
西側からの眺め。ここは普通の丁字路ですね。
中央島に相当する交通島内にある「明治天皇八戸行在所舊阯(めいじてんのう はちのへ あんざいしょ きゅうし)」碑。当時ここにあった八戸小学校講堂が行在所に使われた。
そんな場所に小便小僧とはどういうセンスなのか?と思うが、市民に親しまれている不思議。以前は噴水があって小便小僧はその中央に置かれていたが、2021年6月噴水撤去後もガードレールに守られて存在している。さて、この小便小僧はいつ設置されたものだろうか。
「八戸市庁」も市民の誇りか?