加古川友沢団地ロータリー

JR加古川駅の西2kmちょっと、加古川を渡る国道250号播州大橋の袂にある中規模住宅団地に円形交差点がある。回転方向は明示されていないものの、なんとなく右回りが定着しているようなので、当サイトではロータリー交差点とする。

中央島はコンクリートで固められてフェンスが取り囲むが、防火水槽があるわけではない。なんでこんなところに?なんのために?と疑問が湧く。コンクリートに微かに浮かぶ鉤型の凹凸が鉄塔を連想させる。

この地は1974(昭和49)年~1977(昭和52)年に友沢土地区画整理事業が施行され、約160戸の住宅団地が作られた。このときに円形交差点が設けられ、当時は中央島に送電鉄塔が立っていたのだ。今となっては系統名がわからないが、関西電力加古川変電所から国鉄加古川変電所への送電(配電)である。

1958(昭和33)年4月10日に国鉄山陽本線の明石-姫路間が電化されており、それに先立って1957(昭和32)年に鉄塔が設置された。その後、どんな経緯・目的があったかわからないが1976(昭和51)年の播州大橋架設時に送電線は橋梁添架に変更され、1981(昭和56)年~1983(昭和58)年頃に鉄塔が撤去されたらしい。
会計検査院 昭和31年度決算検査報告 日本国有鉄道 参照

つまり、この円形交差点に鉄塔が立っていたのは最初の4~5年ということだ。早いうちに無用の土地になるとわかっていたであろうが、土地区画整理をやらなければ播州大橋を架けられず、播州大橋を架けなければ鉄塔を撤去できないという三角関係にあったのだろう。鉄塔は撤去されたが、防護のためのガードレール及びその内側の土地所有者は国鉄からJR西日本に引き継がれた。

環道の回転方向は当初から規制・案内されておらず、そのまま現在に至っている。邪魔で仕方ないのでは?と想像するが、かと言ってこの中央島部分をJR西日本から買い取って十字路にするはもとより、土地貸借で有効活用する行動にも至っていない。せめて手書きでいいから視線誘導標を設置して右回りを誘導すればいいのに、と思う。それとも、再度土地区画整理事業が必要なのか?

友沢団地鉄塔跡ロータリーの変遷

1961(昭36)年 | 1975(昭50)年 | 1980(昭55)年 | 1985(昭60)年 | 2017(平29)年

1961(昭和36)年06月 土地区画整理着工前。国鉄加古川変電所への送電鉄塔らしき影が微かに見える。
1975(昭和50)年01月 土地区画整理着工直後か。国道250号播州大橋架橋のための橋台橋脚だけが見える。鉄塔はよくわからない。
1980(昭和55)年10月 土地区画整理完了。円形交差点中央に鉄塔の影が見える。播州大橋下り側は1976年度に完成・供用された。渡河部が6車線化されるのは1983年度のことである。
1985(昭和60)年12月 播州大橋渡河部の6車線化が完了している。円形交差点の鉄塔は撤去された。
2017(平成29)年07月 友沢団地のほぼ全区画に住宅が建った。
路線市道友沢8号線/市道友沢10号線/市道友沢11号線
所在地兵庫県加古川市加古川町友沢
完成時期1976(昭和51)年
実走行日2022-05-05
全景写真
加古川友沢団地ロータリーを南側から眺める拡大する
加古川友沢団地ロータリーを南側から眺める。回転方向の案内はない。訪問したのは夕方とあって住民らしき車両しか通行しておらず、部外者がどう通行するのか興味津々だ。
加古川友沢団地ロータリーを西側から眺める。保護すべき鉄塔はなくなったけれど残されたガードレールの発錆がすごい。
北側から眺める。中央島が視覚的にオフセットされていて、自然と右回りになる。
西側から。いずれの接続路にも警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は設置されておらず、視線誘導標もない。
中央島に残された鉄塔の痕跡。
ジェイアール西日本不動産開発の管理地ということは、現在の所有者はJR西日本で間違いないだろう。