十日市交差点歩道橋

2011年7月30日供用開始、主桁が円形の歩道橋。

岡山市は1945年6月29日に米軍空襲を受け市街地が焼失した。
戦後の復興都市計画により、1946(昭和21)年に土地区画整理事業と特別都市計画街路が決定され、1948年から着手された。
最終的には1981(昭和56)年に事業を完了したとのことであるが、この過程でここ十日市交差点のほか、清輝橋交差点・大雲寺交差点・柳川交差点・大供交差点・水道局前交差点等が円形広場を持つ交差点として整備された。

当時の記録を探し当てられていないので推測でしかないが、市はこれらの交差点をロータリー交差点として整備する計画とし、そのように土地取得を進めたが、県(または公安委員会)との調整に失敗してロータリーとして運用できない事態になったのではないか。その結果、交差点は円形で、道路は直交路+左折道流路というちぐはぐなことになったと想像する。
ここ十日市交差点は、1961(昭和36)年時点で交差点を中心とする円形の土地を確保している様子がうかがえる。

結局、いまでも丁字型の交差点であり、1975(昭和50)年には現在とほぼ同じように、周囲を円形の細道が取り囲む状態になったようだ。当時から交通量の多さは織り込み済みで、横断歩道は設けられていない。国道30号と県道40号に歩道橋が設けられている。東西を往来するために歩道橋を2回昇降させられて黙って従うはずもなく、実態は道路を直接渡る人が多かったのだろう。

どちらへ向かうにも垂直方向の移動が最小限で済む方法、その解が円形歩道橋というわけだ。
供用開始から3年経過しているにも関わらず、訪問時はまだ周辺工事が行われていた。

カテゴリー円形歩道橋
路線国道30号/県道40号岡山港線
所在地岡山県岡山市北区十日市西町
実走行日2014-11-02
全景写真
十日市交差点歩道橋全景。橋脚は3本だけですよ。
桁上から眺める。
道路交差部。自転車は自動車の仲間なので、歩道橋には誘導されない。スロープもない。車いすは?自動車の仲間ですかい?

外周円形路は周辺店舗へのアクセス路として健在。