道の駅とようらから道道97号豊浦京極線を北に4.5km走ると道道285号豊浦洞爺線が分岐する。道道285号豊浦洞爺線を北進すると800mで三叉路がある。それが別荘地・洞爺スカンジアランドの入口だ。2008年北海道洞爺湖サミットの主会場で使用されたザ・ウィンザーホテル洞爺へ向かう豊浦町からの最短ルートでもある。
入口と言ってもゲートがあるわけでなく、怪しげな山林に踏み込む印象だ。しかし路面状態は決して悪くない。通行車両が少ないのと、元々の道路敷設がしっかりしているのだろう。
この別荘地内のメインストリートと言える道路と分譲地内に計7件の円形交差点、そして多数のクルドサックが設けられた。ザ・ウィンザーホテル洞爺(当時はホテルエイペックス洞爺)が開業した1993(平成5)年頃に、メインストリートにあった円形交差点2件が撤去されたらしい。分譲地内の3件は立入困難のため現調できていない。
ところで、洞爺スカンジアランドとはなんだろう?
「日本の別荘地」(冨樫敏 著 日本証券新聞社 1973年8月1日発行)によれば、
洞爺スカンジアランドは富士産業が第一勧銀系の主要企業26社で設立したデベロッパー第一開発と提携して開発、分譲しているもの。開発面積は約200万平方メートルで、その名の通り北欧風の風土の所に、1区画約1200平方メートルから約5900平方メートル(平均1800平方メートル)のゆったりした別荘地をつくるもの。北に羊蹄山、南に噴火湾を望む標高250メートルから430メートルの丘陵地帯にある。昭和47年夏の分譲価格は1区画193万円から986万円だった。
敷地入口2箇所と中心部1箇所に「売地」の立看板があり、そこに記された問い合わせ先企業名は富士産業。開発時から変わっていないのか、同名の別会社なのかは不明。不動産登記情報を何通か取り寄せてみたところ、1973(昭和48)年9月~11月に集中的に分筆されていたことがわかっただけでなく、平成~令和に至っても活発に土地取引が行われている印象を受けた。
洞爺スカンジアランドの円形交差点配置
円形交差点がよく写っている1976(昭和51)年10月16日国土地理院撮影の空中写真で場所を確認しよう。
(a) 北側区画内
(b) メインストリート北
(c) メインストリート中
(d) メインストリート南
(a) 北側区画内
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(a)-①の円形交差点(北側区画内)を南西方向から眺める。三叉路と言っても1枝は廃道化しており、実質は中央分離帯状態になっている。中央島には朽ちて電灯部分がなくなった街灯が立っている。
この向こうに(a)-③の円形交差点があるはずだが立入困難。爆竹も熊スプレーも用意していなかったので、藪漕ぎする勇気は出ない。
(b) メインストリート北
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(b)-⑤の三叉路を南側から眺める。ザ・ウィンザーホテル洞爺(当時はホテルエイペックス洞爺)開業に伴い、裏道?化すべく円形交差点が撤去されたらしい。
(c) メインストリート中
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(c)-⑥の三叉路を北側から眺める。交差点内の舗装色が前後の道路と違うのは、円形交差点撤去時の舗装アスファルト配合が異なるのだろう。
(d) メインストリート南
洞爺スカンジアランド内道路の円形交差点のうち、円形交差点機能を維持している唯一の交差点だ。年間数台以上の車両が通行していることを路面が語っている。
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(d)-⑦の三叉路を北側から眺める。中央島には立派に成長したエゾマツ。ちなみに、エゾマツの花言葉は「ごきげんよう」だ。
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(d)-⑦の三叉路を西側から眺める。当然ながら回転方向の案内はない。
空中写真の左上に写っている建物、洞爺ホテルスカンジア跡。営業活動の拠点として建設されたのだろうか?いつ頃まで営業していたのか全く情報がない。ネット上では「パンストホテル」の異名を持つ。
交差点情報
路線 | 私道? |
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所在地 | 北海道虻田郡豊浦町桜 |
完成時期 | 1973(昭和48)年 |
実走行日 | 2023-07-09 |
おまけ
売地の立看板。この富士産業って最初にここを開発した会社と同じなんですかね?看板に書かれている連絡先はniftyドメインのメールアドレスと携帯電話番号。いたずら防止を念頭に、意図的に隠していると考えてよさそうだ。