湯浅海岸通りロータリー

和歌山市の南、紀州藩の命による醤油醸造で栄えた町、湯浅。紀伊國屋文左衛門の出身地でもある。

1960年代、人口増加に伴う宅地不足解決のため海を埋め立てて住宅地が造成され、その住宅地中央にロータリー交差点が設けられた。何を意図して設けたのか不明。中央島に、当時の湯浅町長 野島一翁 の名とともに昭和42年9月竣工の銘板が埋め込まれたが、訪問時には脱落していた。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」はなく、進行方向の指示もないが、自治会によると見られる手書きの右回り案内(赤い矢印)がある。

造成・分譲から50年が経過しており、周辺の建物の状態等を踏まえると住民の高齢化が著しいように見える。南海トラフ地震による被害が予想される地域でもあり、計画的な街並み再編が進む可能性がある。

湯浅町役場のウェブサイトをはじめ、どこにもこのロータリー交差点の由来等を見つけることはできなかったが、町や関係団体が作成するほとんどの地図にロータリー交差点が描かれている。隠れた地域の自慢ということだ。

カテゴリーロータリー
路線町道
所在地和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅
完成時期1960年代
実走行日2018-11-23
全景写真
江戸時代に、山田川河口に築造された大仙堀。「醤油堀」とも呼ばれ、醤油を始めとする醸造品や原材料の揚積みで賑わったと言われる。この堀(船着き場)から西は海だったわけだが、1960年代に埋め立てられた。
湯浅海岸通りロータリーを東側から眺める拡大する
湯浅海岸通りロータリーを東側から眺める。中央島の植栽はサクラだろうか。
東側のパラペットに、当時の湯浅町長 野島一翁 の名とともに昭和42年9月竣工の銘板が埋め込まれていたはずだが、訪問時は脱落していた。周辺を探したものの、行方不明。
湯浅海岸通りロータリーを南側から眺める。ロータリー交差点がゴミ集積場になるケースは珍しくない。
西側から眺める。
北側から。
パラペットに「左廻り←」とペンキで描かれている。右回りが正しい表現なのだが、それでは直感的に間違える人がいるからだろうか。