案内ロータリー(ラウンドアバウト)

JR東仙台駅の西600mにある古そうな住宅団地の中にある円形交差点。2014(平成26)年9月1日の改正法施行と同時に環状交差点に指定された。

この住宅団地はいつ頃できたのか、円形交差点は宅地造成当初から存在するのか等、いつもの疑問を調べてみたところ、興味深いことがいくつかわかった。現地聞き取り調査と合わせ、以下に整理する。

  • 現在は東仙台5丁目だが、1980(昭和55)年10月6日付の住居表示によるもので、それ以前は「原町小田原字案内」だった。(仙台・宮城野・原町・小田原って、どこだよ?)
  • 1910年代後半の大戦景気(別名・大正バブル)以後、東北の首都として仙台への人口集中が顕著になり、さらに1940年前後に軍需工場が設置され工員が爆発的に増えたこともあって、逼迫した住宅難になった。
  • 1941(昭和16)年に開所した東京第一陸軍造兵廠仙台製造所は大規模で、官舎建設だけでは追いつかず住宅建設が急務になった。
  • 昭和16年5月に半官半民で設立された住宅営団(住宅・都市整備公団の源流)がその一部を担うこととなり、造兵廠の北1kmの地「案内」一帯を切り開き、案内住宅第一期150戸が昭和17年7月に完成、第二期322戸が昭和19年10月に完成した。
  • 第一期建設時に住宅団地の外れに広場とその中央に防火水槽が設けられた。防火水槽には柵がなく危険だった。
  • 第二次大戦では空襲被害なく、当時の建物は昭和40年代まで残っていた。昭和40年前後に団地内の道路が舗装され、そのときに防火水槽はコンクリートで閉じられた。
  • 閉じた防火水槽上が昭和46年前後に植栽された。その頃にようやく右回りの一方通行がほぼ定着(桜ケ丘を真似たんだよ、とのこと)し、「案内ロータリー」と呼ぶようになった。
  • 右回り一方通行が完全に定着したのは、環状交差点に指定された2014年9月以後。それまでは逆走する車が時々いたとのこと。

戦中当時の案内住宅を知る人に話を聞きたいものだが、当時15歳の人でも存命なら90歳。案内ロータリーの存在を知るのが遅すぎた。

カテゴリーラウンドアバウト
路線市道案内本通線/案内住宅2号線/案内住宅3号線
所在地宮城県仙台市宮城野区東仙台5丁目
実走行日2017-03-19
全景写真
南側から眺める拡大する
南側から眺める。中央島の存在には気付きにくいが、前後の道路幅員が狭く圧迫感があるために速度を上げられず、中央島に突っ込む心配は低い。
南西側から眺める。右奥の建物「ねすと案内」はこの地域の集会所であって歓楽街の案内所とは全然違う。案内はGuidanceではないのだ。
西側から眺める。右の路面ペイントに、環状交差点指定前の様子を窺い知ることができる。このように隅切りしてあると、逆走して右折しようとする車がいてもおかしくない。
北側から眺める拡大する
北側から眺める。中央島が偏心している様子がわかる。規制標識「環状の交差点における右回り通行(327の10)」がなければ、直進するときには右側の弧に進入するかも知れない。