近鉄登美ヶ丘住宅地のロータリー交差点

近畿日本鉄道は大阪-名古屋の鉄道事業のほか、戦前から阪奈間で不動産事業を営んでいた。近鉄登美ヶ丘住宅地は、その不動産事業を戦後に拡大させた初期の住宅地である。住宅地の中心部にロータリー交差点を置いたのは、鉄道会社が営む不動産事業として大成功を収めた南海初芝住宅地を意識したのかも知れない。

当時の平均的な宅地価格も近鉄登美ヶ丘住宅地の販売価格も調べていないが、近鉄登美ヶ丘住宅地の1戸あたり敷地面積は200坪近くあるので高所得者層を狙ったものと見て間違いない。

街区設計が通過交通を排除しているとともに、その後の都市計画でもこの住宅地内の道路に通過交通を流す発想はなかった(か、阻止された)らしく、現在でも閑静な住宅地であり続けている。

分譲開始から60年経ったいま、ロータリー交差点に面する住戸のいずれも生垣が立派に茂っていて、これがロータリー交差点の見通しを妨げているのが実情だ。通過交通がほぼないことと見通しが悪いことから、ここをラウンドアバウトにする意義は少ないかも知れない。

路線市道西部第132号線/市道西部第133号線
所在地奈良県奈良市登美ヶ丘1丁目
完成時期1960(昭和35)年10月
実走行日2021-02-12
全景写真
近鉄登美ヶ丘住宅地のロータリー交差点を東側(入口側)から眺める拡大する
近鉄登美ヶ丘住宅地のロータリー交差点を東側(入口側)から眺める。この接続路のみ、2車線相当の幅員がある。一時停止の規制があるのもこの接続路だけだ。
南側から眺める。うーん、右側のお宅、ニオイヒバの生垣が育ちすぎて交差点の見通しを妨げている。30年ぐらい前の段階でもう少し刈ってほしかったところだが、今となっては遅すぎる。
西側から眺める。環道は一方通行で規制されている。
北側から。どこのお家もでっかいぞお。100年働いても買えそうにない。
住宅地入口に置かれたモニュメント。60年前、こういう家族が入居する想定だったんだろう。
近畿日本鉄道創業50周年記念と記されている。
近鉄は1910(明治43)年9月16日に設立された奈良軌道を祖とする。