千里ニュータウンのひとつの街区として設計・造成され、1964(昭和39)年から入居が始まった千里藤白台。その中心部にロータリー交差点が設けられている。
住宅の完成と同時に入居が始まったため、周辺道路・設備はまだ工事中の有様だったという。完工は翌年の1965(昭和40)年で、「近隣センター」とともにロータリー交差点の供用が開始された。当時、阪急千里線は現在の南千里駅までしか開業しておらず、南千里駅からここまでバスが運行されていたそうだ。
藤白台に限らず千里ニュータウン全体が同じような状況だが、街ができて50年、くたびれてきている感が否めない。あらゆるものが世代交代の時期にあり、集合住宅のリノベーションプロジェクトも盛んである。
ロータリー交差点がニュータウンに設けられるのは、単純に住宅地のシンボルという場合もあれば街区設計や都市設計による場合もある。ここ藤白台を含む千里ニュータウンは主に都市設計によるものと言え、社会システム構築の一環としてロータリー交差点が配置された。
千里ニュータウンでは、それまでの日本になかった全く新しい初等教育システムがモデル的に導入される構想だった。千戸単位の「近隣分区」に幼稚園と小学校低学年用分校(および住民集会所・公園・生活日用品店等)を設け、二千戸単位の「近隣住区」に小学校高学年校(本校)を配置することが、当初のマスタープランにおける住区構成・街区設計の基礎とされた。結果的にはこのシステムは導入されなかったものの、「近隣分区」間の通過交通を抑制するべく設けられたロータリー交差点とその接続道路の構成は住区構成・街区設計の片鱗である。
そのように考え抜かれた街区設計なので、ここ藤白台を含む千里ニュータウン内のロータリー交差点はラウンドアバウトに指定されてもおかしくないと思えるのだが。千里ニュータウンは、いつまでも日本の最先端を行く住宅都市であってほしい。
カテゴリー | ロータリー |
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路線 | 市道 |
所在地 | 大阪府吹田市藤白台1丁目 |
完成時期 | 1965(昭和40)年供用開始 |
実走行日 | 2018-01-07 |
全景写真 | |
拡大する 北東から眺める千里藤白台ロータリー。 正面は大阪府営住宅建替PFI事業「大阪府営吹田藤白台住宅(第2期)民活プロジェクト」による工事現場。東レ建設を代表企業とするグループが手がける。 千里藤白台ロータリーを南側から眺める。接続路の幅員に比べてロータリー交差点内の環道幅員が大きい。路線バスの停車を織り込み済みということだろう。 拡大する 千里藤白台ロータリーを西から眺める。千里津雲台団地ロータリーと同様、環道進入時に一時停止の必要はない。 北西から眺める。この背後方面にあるのは府営住宅だけであり、通過交通が通行する想定はないが故にこの幅員で歩道が設けられていないということらしい。 中央島にあった標石。BMと記されているので水準点だと思うが、国土地理院の水準点ではない。千里津雲台4丁目ロータリーにもあった(未撮影)が、吹田市が設置したものだろうか。 中央島に設置されているモニュメント。1967年に開催された千里野外彫刻展出品作品のひとつで、加藤昭男氏の「翼のある車輪」とのこと。 |