その名も「のの字橋」!(らしい。正式名称未確認 )
橋のコンクリートの古さや鬱蒼と茂る木々に歴史を感じる場所である。
ともかく、このあたりは急な坂道やトンネルが多い場所。この「のの字橋」を上れば、三浦半島の難所と言われた十三峠がある。狭い道なのでバイクでさえ先に進むのは気が引けた。
今はどこの家にも自動車があるんだろうが、50年前の「のの字橋」の主流はリアカーだったんだろうな、だからこそ「のの字」じゃないとダメだったんだろう、と思いを巡らせた。
(2008年06月07日追記)
田浦地域文化振興懇話会が作成するウェブサイトにのの字橋の歴史を紹介するページがあったので紹介する。
→横須賀市のウェブサイトに転載されている。
のの字坂
JR田浦駅を下りて国道16号線を横切り、まっすぐに山の方向へ歩くと、約5分でこの道が立体交差するところが「の」の字になっていることから、土地の人が呼ぶ「のの字坂」だ。戦前、城の台砲台を築き、物資を運び上げるためにつくられた道路である。道をつなぐ陸橋を「のの字橋」(いわゆるループ橋)といい、はじめは橋も木製であったという。ループ(輪)は、直径40mぐらいで、輪の中は児童公園(田浦1丁目公園)になっている。桜の木が植えられ、春は美しい。1回転半以上まわって登った先は、旧浦賀道・十三峠となり、東京湾を望むハイキングコースとなっている。
とのことだが。
国土地理院の国土変遷アーカイブによれば、1947年米軍写真では確認できず、1963年の航空写真で存在を確認できる。戦前~戦後直後は非舗装であっただろうが、空中写真に写らないほどカモフラされていたとは思えない。第一、城の台砲台への資材輸送ルートにしては遠回りが過ぎる印象を持つ。
のの字橋をさらに奥へ安針塚方面へ進むと長浦三丁目公園があり、そこに「開拓記念碑」と刻まれた石碑がある。1957(昭和32)年1月に建てられたもので、この尾根筋一帯を農地開拓したことを記念している。前述、田浦地域文化振興懇話会が作成するウェブサイトによれば、入植は1947(昭和22)年。開拓のために必要な資材や客土搬入のため、或いは生産物搬出のために道路を整備し、のの字橋を架けたと考えるのだが。
(2012年04月21日追記)
机上調査を経て、満を持して4月7日に現地再訪。
当時を知る長老に出会い、貴重な情報を聞き出せると期待していたのだが。
話を聞けた人はいずれも高度成長期以後に越してきた人ばかりで、いつから「のの字」を描くようになったのか、確度の高い情報を得ることはできなかった。
| 路線 | 市道1643号 |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県横須賀市田浦町1丁目 |
| 回転度 | 280度 |
| 実走行日 | 2003年07月05日 |
(2003年07月05日初訪)
のの字中央部は児童公園である。
(2012年04月07日再訪)
前回と同じ構図で撮影してみた。
周囲に植えられている木が桜だと認識していなかった。ほぼ満開の桜がとてもよい雰囲気だ。
撮影しようとしたら、なんと偶然にF800Sが。
のの字橋を眺める。高欄は砂利分が多いコンクリートだが、これだけで架設時期を特定するのは困難だ。橋名板が嵌め込まれるであろう凹みがある。最初から嵌められなかったのか、それともなくなったのか。
下から橋桁を眺める。コンクリートについた型枠の模様が年輪に見える。
のの字周辺の風景・おまけ。右の階段はその上の家の私道である。こんなに階段を登らないと自宅に辿りつけないなんて、なんてバリアフルなんだろう。

