戸塚団地ロータリー交差点

名神高速と東海北陸道の分岐・一宮JCT近くにある住宅団地に5枝のロータリー交差点がある。住宅団地の名は「戸塚団地」(戸塚ニュータウンとも)、典型的な昭和のニュータウンだ。

「戸塚」は1889(明治22)年まで存在した中島郡戸塚村に由来している。戸塚村は宮地花池村と合併して三輪村に、その後 苅安賀村→大和村→大和町を経て、1955(昭和30)年に一宮市になった。

団地内にある小学校・大和南小学校は1977(昭和52)年9月起工、1978(昭和53)年4月3日に開校した。旧戸塚村南部に豊島台団地、大和団地、上次・観音堂団地が相次いで造成・建設された後、1976(昭和51)年に戸塚団地ができたことで小学校新設が決定的になった模様。

シンボルとして設けられたと考えられるロータリー交差点は中央島直径が30mあり、団地内に設けられるものとしては大規模だ。環道南側には商店街が配置され、ロータリー交差点は交通静穏化よりも住民が集うことを狙ったような印象である。しかし団地建設から50年ほど経過した現在では、9店舗区画のうち3店舗区画は営業されておらず、とりわけキーテナントであるはずのスーパー跡が長らく放置されている状況にある。

環道に店舗が面しているので、このままラウンドアバウトに指定することは困難だ。中央島を縮小し、店舗前に広い歩道を設ければ可能性はあるかも知れないが、そもそも交通量が多い交差点ではないので改良の必要性は低いだろう。

戸塚団地ロータリー交差点 経年変化

1961(昭和36)年 | 1975(昭和50)年 | 1982(昭和57)年 | 2020(令和02)年

1961(昭和36)年05月 この時点では、戸塚団地はもとより豊島台団地/大和団地/上次・観音堂団地いずれも造成の気配がない。名神高速道路もない。近代的な耕地区画整理は行われていないが、古くから効率を意識した地割だったことがわかる。
1975(昭和50)年09月 戸塚団地造成前年。豊島台団地/大和団地/上次・観音堂団地が完成しており、戸塚団地は既に用地契約が済んでいるのか、耕作されていない。
1982(昭和57)年10月 戸塚団地造成完了から6年、既に全区画に家屋建設済みで、販売盛況だったと見られる。
2020(令和02)年09月 1982年とあまり変わらぬ土地利用に、逆に驚く。
路線市道
所在地愛知県一宮市大和町戸塚字寺田/字毛受田
完成時期1976(昭和51)年
実走行日2022-05-03
全景写真
戸塚団地ロータリー交差点を北西から眺める拡大する
戸塚団地ロータリー交差点を北西から眺める。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は設置されていないが、路面ペイントと視線誘導標で右回りを誘導している。一時停止規制はなく、進入車優先だ。
戸塚団地ロータリー交差点を北から眺める拡大する
北側から眺める。幅員差から環道が優先道路であることは明らかだが、一時停止で規制されている。
戸塚団地ロータリー交差点を北東から眺める拡大する
北東から眺める。この道路は流出方向(東行)の一方通行だ。
戸塚団地ロータリー交差点を南東から眺める拡大する
南東から眺める。団地内を東西に貫くメインストリートで、これが優先道路。こちらから進入する部外者車両は想定されていないのか、視線誘導標がない。
戸塚団地ロータリー交差点を南から眺める拡大する
南から眺める。1982年の空中写真では小さな小さな植栽だが、50年かけてここまで大きく成長したようだ。きちんと手入れされているだけでも好印象の街だろう。
キーテナントだったであろう、スーパーショウエイ戸塚ショッピングセンター跡。この色褪せから見て、閉店したのは前世紀か?