車塚ロータリー

阪急の神戸線武庫之荘駅・塚口駅・伊丹線稲野駅いずれからも微妙に遠いエリア、伊丹市と尼崎市の市境付近にロータリー交差点がある。

周辺は比較的整然とした住宅が立ち並んでいるので、どうせ阪急が開発した住宅団地だろうと思って調べてみたが京阪神急行電鉄五十年史には開発地としてリストされておらず、

  • 土地区画整理事業(兵庫県 伊丹都市計画土地区画整理決定の件 – 昭和17年内務省告示第327号)が施行されたこと
  • 昭和17年時点で造成工事が行われていたこと
  • 昭和19年には建造物が存在してたこと

ぐらいしかわからなかった。

昭和17年の時点でロータリー交差点の北200mには運動場とクラブハウスらしき建物が設けられ、昭和中期の時点で「三井グランド」と広く知られていたことから、一帯のデベロッパーは三井不動産と仮定してみたが特定できる記録に到達できていない。

ロータリー交差点は、

  • 5枝交差点である
  • いずれの接続路にも警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は設置されていない
  • 環道に接続する道路は一時停止で規制されていない
  • 環道は一方通行で規制されている

という、なかなか難解な状態である。5つの丁字路が連続していると考えればよいだろうか。ただ、環道北西部(車塚公園に面する区間)は営業車やタクシーの休憩エリアになってしまっているとか、北東部は長らくスーパーが店開きしているので今さら規制強化につながることを新たに施行するのは難しい等の事情あり、ここが環状交差点に指定されることはないだろう。

車塚ロータリーの変遷

1942(昭17)年 | 1948(昭23)年 | 1964(昭39)年 | 1975(昭50)年 | 2007(平19)年

1942(昭和17)年 大阪市 撮影 ※ 運動場は既に完工しており、クラブハウスらしき建物がある。農地に作物が茂っているように見えるので撮影時期は9月頃か。このペースならあと数ヶ月で造成完了するだろうと考えて、翌年の1943年完成と推定する。
1948(昭和23)年03月 国土
地理院
撮影
戦争末期~終戦直後はさすがに住宅を売る余裕も買う人も少なかったか。環道に刻まれた轍の偏りで周囲の街がまだないことがわかる。
1964(昭和39)年06月 まだ空き地が目立つが街は完成した様子だ。
1975(昭和50)年03月 中央島の植栽が再整備されたようだ。環道の轍は通行方向がまだ偏っていることを表している。周辺の道路事情があまりよくないのだろう。
2007(平成19)年07月 運動場は広域公園と高層住宅に変わった。

※ 大阪市指定文化財 > 有形文化財・歴史資料 > 大阪市航空写真(昭和17年)

路線尼崎市道富松8号線/伊丹市道5206号線/伊丹市道5208号線
/伊丹市道5205号線/尼崎市道富松27号線
所在地兵庫県伊丹市車塚2丁目
完成時期1943(昭和18)年?
実走行日2022-05-06
全景写真
車塚ロータリーを南東側から眺める拡大する
車塚ロータリーを南東側から眺める。造成直後は外部から来る人の玄関口がこの方向だった。
車塚ロータリーを南側から眺める拡大する
南側から眺める。環道は一方通行であることを規制標識で示しているだけで、視線誘導標はない。
西側から眺める。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」はいずれの接続路にも設置されておらず、一時停止の規制もない。
北側から眺める。環道流出直後にバス停があるのはいかがなものか。
北東側から眺める。スーパーさん、長らく営業しているところ恐縮なんですけど、路上に置いた函をもうちょっと片付けてもらえませんかね。