龍山大橋

(2010年3月13日初版記事公開 2021年3月4日一部追記)

南側からアプローチして、浜松市天竜区(浜松市の面積の半分以上)に入ると、「天竜林業高校」※1があることに気付く。林業高校は日本でこの1校だけだ。そして、天竜川沿いを走ると、天竜川が林業を育み、林業とともに栄えてきたことがよくわかる。

※1 天竜林業高校は2014年4月に二俣高校・春野高校とともに廃校になり、新たに天竜高校として開校したが森林関係の課程は継承されている。

と同時に、天竜川沿いに鉄道を通そうとして未完のまま終わった佐久間線の遺構も見ることができる。道の駅・花桃の里の裏手には高架とトンネルが残っており、また、天竜川を渡る第二天竜川橋梁橋脚は、橋が架けられ歩道として転用されている。

天竜川沿いを通る国道152号は、秋葉街道(鳳来寺街道)として整備された道が1925(大正14)年12月に県道になり、1952(昭和27)年6月に国道に昇格した。当時の道路敷は天竜川に張り付くように蛇行しているが、近年の道路整備によりいくつかの近代的なトンネルで通過時間の短縮が図られている。鮎釣集落をバイパスする2002(平成14)年開通・供用開始の秋葉(あきは)トンネルもそのひとつで、トンネル開通以前の国道旧道は現在は県道285号大輪天竜線・県道286号鮎釣東雲名春野線に認定されている。

県道は国道旧道から分岐すると天竜川右岸の堤防上を通るようになり、やがて正面に小山と青い橋桁が見える。県道はこの小山の周囲をおろちが回るように登ってゆく。そして青い橋桁は龍山大橋だ。おろちになった気分で橋桁をくぐると、すぐにトンネルポータルが目に入る。そのトンネルは「鮎釣隧道」という。龍山大橋と同じ1955(昭和30)年完成、全長48m。鮎釣はこの付近の字名で、江戸時代は筏役郷十三カ村※2の一つであった。

※2 文字通り、天竜川の木材流送に従事する集団がいた集落。周辺では船明や二俣も同様。二俣には登録有形文化財の筏問屋 田代家があり、天竜川舟運の資料が展示されている。

橋の手前左手には、小山の頂上にある大嶺八幡神社へ続く踏み分け道がある。神社祭神は誉田別尊、1599(慶長4)年の棟札(建物の建築・修繕の記録)が残っているそうだ。鳥居は1901(明治34)年3月に建立されたことが刻まれていた。

上路式カンチレバートラスの龍山大橋※3は1955(昭和30)年3月竣工の古い橋である。すぐそばにある秋葉ダムの着工が昭和29年であり、その補償※4として架橋されたようだ。

※3 親柱は漢字の橋名板が脱落しており、橋歴板も見当たらず、「龍山大橋」「竜山大橋」いずれが正式な用字か不明。当サイトでは龍山村史の記述に基づき「龍山大橋」とする。
※4 天竜川沿いで切り出した木材は筏を組んで下流へ輸送していたが、秋葉ダム建設によりそれが不可能となるため、自動車輸送へ切り替えるべく天竜川左岸道路とともに整備された。
路線県道285号大輪天竜線(県道286号鮎釣東雲名春野線重複区間)
所在地静岡県浜松市天竜区龍山町大嶺
回転度270度
完成時期1955(昭和30)年
実走行日2010-03-13
全景写真
(2010年3月13日撮影) 龍山大橋ループ全景拡大する
天竜川右岸の堤防上を通る県道が小山の周囲をおろちのように回って川を渡る構造だ。中央の小山には八幡神社がある。
鮎釣隧道の龍山大橋側ポータル。確かに古いが、1955(昭和30)年完成には見えない・・・と思うだろ?
コンクリートアーチなのに、アーチ環に要石状の装飾がある。時代は隠せない。
県道重複区間を示すヘキサ。ややこしいことに、この2つの県道は起点方向が違う。この写真で、県道285号大輪天竜線は終点方向、県道286号鮎釣東雲名春野線は起点方向を向いているのだ。
龍山大橋親柱。あろうことか、漢字の橋名板が脱落している。
龍山大橋渡河部を北側(天竜川左岸)から眺める拡大する
北側(天竜川左岸)から眺める上路式カンチレバートラスの龍山大橋渡河部。赤い橋が多い天竜川で緑色は珍しい存在だ。

(2020年11月22日撮影) 龍山大橋全景拡大する
龍山大橋全景。写真右手のように、山肌に貼り付く九十九折の道路と点在する住戸が龍山村の標準的風景だ。正面稜線の向こう側に秋葉ダムがある。
龍山大橋ループ部空撮拡大する
龍山大橋ループ部空撮。中央線はないが、決して狭さを感じる幅員ではない。
天竜川右岸から眺める龍山大橋拡大する
天竜川右岸・ループ途中から眺める龍山大橋。桁下高さ確保のため交差部にトラスはない。

(参考資料) 龍山村史(昭和55年2月発行)