音戸大橋

(初回記事公開:2009年4月30日 記事全面書換:2020年12月12日)
瀬戸内海の本土と離島を結んだ初めての橋、音戸大橋。
小学校の頃の教科書に掲載されているのを見て、実際に見てみたい激しい衝動に駆られて、親に頼み込んだことを記憶している。もっとも、連れて行ってもらったのは、なぜか建設中の大鳴門橋だったのだが。
音戸瀬戸を跨ぐランガー桁の主橋梁(橋長172m)、本土(警固屋)側の音戸大橋警固屋ループ橋(橋長20.5m)、倉橋島側の音戸大橋高架橋(橋長434m)の3橋梁で構成される。
本土(警固屋)側に1回転半、倉橋島側に2回転半ののの字が存在するが、倉橋島側がキレイな螺旋を描いているため、本土(警固屋)側ののの字は見落としがちである。

最狭部わずか80mの狭い海峡である音戸瀬戸は、広島と松山を結ぶ最短航路であるが故に、平清盛の時代から交通の要衝であった。1167(永万元)年に開鑿されたそうで、倉橋島側の音戸大橋取付部のすぐ近くの岩場に清盛塚なるものがある。平清盛の墓ではなく、清盛の死後1184(寿永3)年に音戸瀬戸開鑿の偉業を讃え供養のために建立されたとのこと。つまり、この伝承が事実ならば(※1)音戸瀬戸は海峡ではなく運河であり、音戸大橋の開通により800年ぶりに徒歩で往来できるようになったということだ。

※1 地形的には繋がっていたことを示す痕跡はないと言われている。

ともあれ、当時通航していた最大船型を想定して桁下高さは23.5mが確保された。1958(昭和33)年の道路構造令による第5種(設計速度30km/h)であるから縦断勾配の最大値は8%となるが、音戸大橋では本土(警固屋)側は6%、倉橋島側は5.7%とされた。
道路構造令ギリギリで設計するとしても斜路延長は300mとなり、海岸ギリギリまで山が迫る瀬戸内の島々においてその用地を確保することは極めて困難であったが、本土(警固屋)側は急傾斜で手つかずの土地を活用、倉橋島側は小さな山付近の住戸が少ない場所を選んで立ち退き・土地収用を最小限とする工夫がなされ、ループが採用されたそうだ。

当時の国内には8件ののの字(※2)が存在したがいずれも3/4回転程度であり、60m四方の土地に20mを超す高低差の道路橋の事例はなかった。前例のない設計であったため、大阪市此花区の埋立地(現在のUSJ西側あたりか?)に平面ながら実物大の道路を建設して1ヶ月かけて走行試験を行ったそうだ。

※2 既に廃止されていた舞鶴橋、米軍施政下にあった小笠原・長崎ループ、建設中だった三笠橋及び芦有ドライブウエイ金井トンネルを除く

斯くして1961(昭和36)年12月3日に県道9号呉倉橋島線の一部、日本道路公団の有料道路として開通(供用開始は翌日の12月4日)、1974年7月31日まで通行料が徴収された。料金所は現在のグリル音戸大橋直下に設けられていた。

開通当初から歩行者自転車ともに通行可であるが、写真を見てもわかるとおり50年前の規格の片側1車線で、とても歩いて渡る気にはなれない。
すぐ横に、音戸大橋架橋以前から運航されていて、現在は日本一短い定期航路である「音戸渡船」があるが05:30~21:00の運航(2020年現在は19時までとの情報も)なのである。つまり、夜中は音戸大橋を渡るしかない。

そういう不便を解消するだけの理由ではないが、音戸大橋の北側400m付近に国道487号の警固屋音戸バイパスとして第二音戸大橋が建設され、2013(平成25)年3月27日に開通した。こちらの車道はループしていないが、倉橋島側に設けられた駐車場の上下線を往来するための歩道橋(正式名称:坪井広場横断歩道橋/2013年12月27日開通)一端がループしており、通称第三音戸大橋と呼ばれている。

路線国道487号
所在地広島県呉市警固屋8丁目、広島県呉市音戸町引地1丁目
回転度540度+900度
完成時期1961(昭和36)年12月3日開通
実走行日2009-04-30
全景写真
(2009年4月30日初訪) 音戸大橋倉橋島側取付部拡大する
音戸大橋倉橋島側取付部。昔、教科書で見たままの風景だ。
音戸大橋本土(警固屋)側取付部拡大する
音戸大橋本土(警固屋)側取付部。訪問するなら満開のつつじが美しいゴールデンウィークがベストだろう。
音戸大橋高架橋(倉橋島側取付部)は12本の橋脚で二重螺旋を支える。内側は駐車場として活用されている。右下にのの字を示す警戒標識がわずかに見える。
警戒標識拡大。標識柱が角柱ということは、もしかすると建設当初のものかも知れない。
音戸大橋をくぐる広島-呉-松山を結ぶ石崎汽船。島と橋と車とフェリー。このごちゃごちゃ感が好きだ。
音戸大橋を元料金所付近から眺める。ここは歩行者自転車ともに通行可。ここを通ってええのんか!?

(2020年9月20日再訪) 音戸大橋本土(警固屋)側取付部(2020年)拡大する
音戸大橋本土(警固屋)側取付部の眺めは変わらない。
音戸大橋を構成する3橋梁拡大する
音戸大橋を構成する3橋梁。手前の低い高欄の橋が音戸大橋警固屋ループ橋、アーチを描く赤いランガー桁の音戸大橋主橋梁、同径で2.5回転する音戸大橋高架橋。
警戒標識は標識柱もろとも新替えされていた。
第二音戸大橋を跨ぐ第三音戸大橋から眺める音戸大橋拡大する
第二音戸大橋を跨ぐ第三音戸大橋から眺める音戸大橋。この眺めも素晴らしい。

音戸大橋ビフォー・アフター
Before
After

左:1948(昭和23)年11月22日 米軍撮影
右:1962(昭和37)年07月30日 国土地理院撮影