青梅市今井5丁目の防火水槽


圏央道青梅IC近くの農地らしき一角に、道路に囲まれた防火水槽がある。その防火水槽周囲の道路(環道に相当)は、残念ながら回転方向が案内されておらず、警戒標識「ロータリーあり(201の2)」もないのでロータリー交差点とは言えない。見方によっては4枝にも見えるが、おそらく3枝の円形交差点である。

国土地理院の空中写真を見る限り防火水槽の原型は1944(昭和19)年頃に設けられたことがわかる。原野の中にぴったり400m✕200mで刈り取られた牧草地のような区画が見える。当時は 西多摩郡 霞村 大字今井 小字物見塚 であった。

周囲には「この土地は農林水産省所管の国有財産です 管理者 関東農政局」と書かれた看板が建てられており、近隣には乳牛牧場がある。1km西には東京都農林水産振興財団・青梅畜産センター(旧東京都畜産試験場)があるので、この地は国と東京都が関係した畜産試験場か蚕糸試験場があったのでは?と仮説を持って種々調べてみたが、どうにも該当する情報がない。
もしかして、戦後の農地改革で強制買収された土地か?農地改革による買収農地のうち、基準に満たない農地は払い下げが保留され国有農地(農林水産省財産)として都道府県が管理しているからだ。

戦中、このような広大な土地を必要とする施設と言えば、他には軍関係しかない。隣接する入間市・瑞穂町・羽村市には様々な陸軍施設(特に航空関係)が設置されたので、仮説を航空関連実験場にあらためて再調査する。

まず青梅市史を読んでみたものの、見事に何の記載もない。

次いで国立公文書館・アジア歴史資料センター。「霞村」では該当する文書は見つからないが、昭和20年7月時点で青梅町勝沼に機上電波兵器関係研究及び審査業務を主業務とする多摩陸軍技術研究所青梅出張所と第七陸軍航空技術研究所が置かれたことを知る。如何せん場所が決定的に違う。

半ば諦めモードに突入しながら、念の為に東京都公文書館で検索してみる。すると東京都総務局調査課による如何にもな文書「東京都下における旧軍用地並に旧軍用建物調査(昭和23年9月)」の存在を知り、公文書館に出向いて史料を読む。おお。霞村字今井に陸軍施設があった!

  • 陸軍航空技術研究所霞村受信研究所(11,308坪/建物156坪)
  • 陸軍航空技術研究所羅針盤試験所(10,168坪/建物20坪)
総坪数で21,476坪=70,995㎡。地図上で計測した面積80,000㎡とは少し差があるがこれで間違いなかろう。

多摩陸軍技術研究所陸軍航空技術研究所は異なる組織に見えるが、1943(昭和18)年6月に陸軍航空技術研究所と陸軍技術研究所それぞれの一部機能を統合再編して多摩陸軍技術研究所が設置された。東京都の文書は大蔵省東京財務局国有財産部備付の台帳等に基づいて作成されたもので、その台帳は登録後の組織名変更には対応していないだけだろう。青梅町勝沼に研究所事務所を設けたが、周辺構造物の磁気の影響が考えられたり強力な電波を受発信したりする施設を市街地に置くわけにはいかないので、当時原野だった霞村字今井に実験場を設けたと推定する。

では、この円形構造物は当時から防火水槽だったのか?

当時、軍施設に円形防火水槽を設置することが一般的だったか把握していないが、登録有形文化財である陸軍知覧飛行場防火水槽、東久留米市前沢5丁目の前澤南公園に残存する陸軍北多摩通信所の防火水槽跡、或いは民間ながら第一豊田荘ロータリー栄町江の島住宅のロータリー交差点中央島の元になった防火水槽も同サイズ(少なくとも直径は同じ)と見られ、ここ青梅市今井の円形構造物は当時から防火水槽だったと考えていいだろう。同サイズということは、何らかの設計雛形が存在していた可能性がある。

昭和18年改訂の時局防空必携によれば、家庭用防火用水として、建物延坪15坪未満は100L、15坪以上は10坪につき50Lを備えることを指示している。軍施設の基準は別に存在したと思うが、同じと仮定すれば156坪の建物なので780Lということになる。ちなみに、現代の消防法基準だと20㎥=20,000Lである。陸軍知覧飛行場の防火水槽は直径10m、深さは1m~2mのすり鉢状とのこと。容量はおよそ120㎥=120,000Lとなり、ここ青梅市今井の当時の施設規模では現代の消防法基準でも過分な水量を蓄えていたと言える。

路線市道
所在地東京都青梅市今井5丁目
完成時期1944(昭和19)年
実走行日2020-08-01
全景写真
南側から眺める青梅市今井5丁目の防火水槽拡大する
南側から眺める青梅市今井5丁目の防火水槽。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は設置されていない。
北側から眺める。防火水槽の周囲の道路(環道に相当)は進行方向が案内されていない。
東側から眺める青梅市今井5丁目の防火水槽拡大する
東側から眺める。擁壁やパラペットを玉石積みにするのは昭和30~40年代の印象がある。戦後、見栄えを意識して玉石積みに改修された可能性はあるが、確認の手立てがない。
青梅市今井5丁目の防火水槽を覗き込む拡大する
防火水槽を覗き込んでみたが、底部の構造は見えなかった。
最初、畜産試験場か蚕糸試験場跡と思い込んだ要因はコレ。周辺の至るところに同じ看板がある。

空中写真で比較する青梅市今井5丁目の防火水槽

昭和18年は施設開設直後と見られ、その後の1年間で防火水槽を含む建造物が追加されている。